ラ・ゴリスターズvs東京シュール5

書きなぐったら大分痛い感じになってしまいました。
寄席としてはラゴリvsシュールと言うことでコアで変人なお客さんしか来てないからか「このネタもう二度と見られないと思ってた!」とか、そういうネタが多くて面白かったのですが、なんのための「vs」だったのかが分からんかったなぁ・・・・
アレじゃ別に合同ライブでいいじゃない。
コーナーが2つしかなかったことと、どちらも時間がなくてだらだらしてたのが正直見ててイライラしました。
馬面白かったですけどね。馬の時間もっと長くてよかった。絶対。
コーナーライブでよかったんじゃないですか?拳並みのコーナーライブで。
じゃなかったら最後に全員で同時にネタやったらよかったんですよ。
このライブがシュール寄りのライブだったのかラゴリ寄りのライブだったのかでちょっと変わるのですが、どちらにしてもアレじゃ一緒にやった意味はないでしょうよ。
と、いうかそもそもシュール5のコンセプトはもっとしっかり持つべきだと思う。
始まった当初からずっと家城さんが靄を掴むような感じでやってるようにしか私には見えないのですが。
何のためにやってるのか。「コレが面白いと思ったから。」じゃ駄目なんですよ。それは誰にでも出来ることなんですよ。自分の面白いと思ったことをやることって。
自分の中だけでもいいからどこがどう面白かをちゃんとはっきりさせておかないと駄目ですよ。表現者なんですから。説明が出来るって大切なことだと思うんですよ。説明はしてくれなくていいんです。ココでいう面白いはfunnyじゃなくてinterestingね。
シュール5に関して何がしたいのかさっぱり分からん。
いろんなことをしたいのかもしれないけど、いろんなことをしたい割にはいつも同じに見えるんです。
もやもやーって。
だからこそ田所とか池田とかのプロデュースが光って見える。
押見とか、ぼっちゃんとか、林さんとかのプロデュースも見たいですね。いっそのことオコチャプロデュースとかにしません?官房長官とか。
正直な私の気持ちを言ったら、つべこべ言わずにユニットコントやったらいいんですよ。
もったいないですよ。アレだけのコント師集めてぐだぐだのお遊びみたいなライブをやるのは。「お遊びみたいなの」も中途半端だし。
私が最近ノブコブが好きなのは茶番を全力でやってくれる馬鹿馬鹿しさが大好きだからなんですけど、中途半端ですよ、シュール5。
とか文句言いながらも毎回行っちゃうのは次こそは面白いんじゃないかっていう期待からです。
トークに期待するのはやめました。今日のチケットはなかったことにします。行くのは奇数月だけにします。
犬ヲタだけはやめたくなかったのになぁ。とかw
昨日のネタは大好きなんだけどなぁ。押見がどんどん普通の人になってく感じがする。






自分で言っといて凄くビックリしてるんだけど、オコチャ完全プロデュースシュール5面白そうだなぁ・・・・・