なんの被害もございません。

ツイッターやってない方もいらっしゃるので一応こちらでも報告を。
私自身も家も家族も友人も無事です。
今回の件は、後に残したいのでちゃんと書くことが必要だなぁと思います。
いつか多くRTされたツイートを報道とからめて時系列順に並べるような本が出ると思います。
情報、デマ、思い、批判・・・
「みんな」というありもしない存在。
混乱している状況に恐怖を感じました。
長くなりましたのでたたみます。




私は地震発生時新宿で買い物をしていました。
地震発生後も普通に買い物を続けようとして、店がどこも開いていないことに気付きます。
友人と「しょうがないから今日はうちに帰ろう」(この日は高円寺の友人宅でお泊りの予定でした。)と電車に乗ろうとしたら電車が動いてません。
「このくらいで電車駄目になるなんて、JRはヤワだ。」と言いながらバスに並びます。バス停がパニックでした。
1時間半くらい待ったでしょうか、バスに乗り込みましたが道路が混んでいて全く進みません。運転手さんがラジオをつけてくれて、初めて東北の被害を知ります。
バスの横の通りに人が沢山歩いていました。
バスに乗って1時間たったところで西新宿までしか動いておらず、歩く決心をきめます。
友人が体調を崩し、バス停前でうずくまり、「これはヤバいかもしれない」とここで初めて事態の大きさに気付きました。
うずくまる友人の横でパニックになる私に知らない男の人が「飲み物とか買ってきたほうが・・・」と。あまりに寒かったので飲み物とおでんを購入。
戻ってきてまだパニックの私にそのお兄さんは「そこの建物(オフィスビル/一階にスタバなどが入っていて出入りできる。)に入ったほうが」と声をかけてくれました。自分の無力さを恥じて、ますます不安になりました。
イスに座れたところでお兄さんとはさよならしました。コンビニ袋を持っていたので食料を買って歩いて家に帰るところだったのだと思います。
そこでおでんを食べて、トイレをすませて歩き出しました。
寒いのでずっと腕を組んだり手をつないだりしながら。
道はずっと人でいっぱいで、ずっと話し声が聞こえていて、それは他愛のない話だったり、地震の瞬間の話だったり。
歩こうと決めたときとは全くイメージの違う散歩でした。みんな同じ目的を持って同じ方向に同じスピードで歩いていたから不安は何もありませんでした。
中野を過ぎたあたりから、あまり覚えてません。ふらふらで。
あったかい汁ものが食べたかったので無言でラーメンを食べました。
具合の悪い友人のために気丈に振舞っていた自分に気づきました。ほんとは辛くて辛くてたまらなかった。
家について友人は倒れるように寝てしまいました。
私はずっと涙が止まらなかった。
交通集団がないことの恐怖がこれほどまでとは思っていませんでした。
今回新宿に友人と二人でいて、その友人が高円寺に住んでいたからバスが来ない時も「最悪歩けばいい」と思っていました。
でも、一人で新宿に行っていた可能性はゼロではありません。
(ことの重大さに気付いてないときにすでに家族と連絡はとれていたので、その辺の心配は全くありませんでした。)


次の日、夕飯を食べたあと電車に乗って家に帰りました。
一人ぼっちの電車が怖くて怖くてたまらないのと同時に、一人暮らしの友人を家に置いてきてしまったことを後悔して、涙が出ました。
泣いていたら電車内に沢山の緊急地震速報のアラームが鳴り響きました。
もう引き返したくなりました。そうでなければ早く家についてほしいと願いました。


卒業式が中止になりました。
この怒りと悲しみをどこにぶつけたらいいか分からずにずっとぴりぴりしてます。
KABUTOツアーにでも行って一日だけ現実から逃げられればそれだけで気持ちが楽になるかもしれないって思ったけど、ツアーも中止のようですね。
幸せって幸せじゃなくなったときに初めて気づく。
パンドラの箱の最後に希望が残った」という言葉の意味を初めて知った気分です。
復興して、また平和になった時にこの気持ちを忘れていないことを願います。